将来の夢ややりたい仕事って、どのように見つけるものなのか。
高校生からの素朴な相談を受けて、自分なりに考えてみた。
「大学の学部って、どう決めればいいの?」
「そりゃ、一般論としては、将来の夢(天職)につながるような学部を選ぶべきかな。」
「将来の夢がないときはどうすればいいの?」
「その夢を探すために、大学で学ぶべきだな。そのためには、大学進学への切符が必要なわけだが、漠然として文系と理系に分かれるのが通例かな。」
「私なら絶対に文系だな。英語好きだし、数学嫌いだから。」
「英語が好きだ、という理由で文系選択は間違ってはいないと思う。好きなことを将来的な仕事につなげることもできるし、大学でやりたいことを見つけてこいよ。」
「でも、夢って言われても、特にないんだよね。」
将来の夢とか、やりたい仕事とか、早々に決まっている生徒は少ない。理想を語るなら、人生の早い段階で、少なくとも高校在学中には、漠然と将来やりたい仕事が見えているのがベストだろう。しかし、塾生たちと話をすると、そうそう早い段階で決められないらしい。
考えてみれば当たり前の話だ。
やったこともない仕事が好きなのかどうか分かるはずもない。日本の多くの企業で、新卒社員が三年以内に離職する可能性が高い事実が如実にそれを表している。
「まあ、おもしろそうな仕事を、大学のアルバイトによって経験してみることが大事だな。バイトとして働いてみれば、その具体的なイメージがわくだろ?」
「そうだね。実際にやってみないと分からないしね。」
将来の夢や、やりたい仕事は経験則に基づいている、と私は個人的に考えている。実際にやってみて、その仕事にのめり込むことができるかどうかを自分自身で試してみることが最善である。ここで注意をしなければならないのが、どこかまだ見ぬ場所に「理想の仕事」や「自分が本当に好きな仕事」が存在しているわけではないという点である。最初から、「これが私の大好きな仕事です」と、提示されているわけではない。やってみて好きかどうかが分かるのである。さらに言えば、好きな仕事に対して、いつも全力で大好きな状態が続くわけでもない。
ここを取り違える生徒が多い。
好きな仕事がどこかで自分を待ち構えていて、自分がそれに出会うのを夢見ている。しかし、現実は早々甘くもあるまい。どんな仕事にもキツイ場面やイヤな側面が、多かれ少なかれ存在するものである。
自分自身の経験則に照らし合わせてみれば、
「この仕事、おもしろそうかも?」 という興味本位からスタートして、
「こりゃ、大変な仕事だ。」と、現実を突きつけられ、
「でも、生徒たちがテストや入試で結果を出すとうれしいな。」と、モチベーションが上がり、
「何度教えても、定着できないな・・。教え方が悪いのか・・。」と、壁にぶち当たり、
「やっと、できるようになったな。良くやった!!」と、結果に喜び・・・という連続である。
この日常を繰り返しながら、気がつけば一年が過ぎていく。
そして、結果として、十年以上こんな仕事に携わっているということになる。
つまり、日々の経験が自分自身の仕事に対する誇りや自信につながって、結果としてこの仕事が好きなのだろうと思える状態になる、ということである。
だから、最初から全力で好きな状態など、そもそも存在しない。好意をもっている状態からスタートして、積み重ねた経験で好きな仕事かどうかを判定せねばならない。
もっと言えば、多少のキツさや辛さがあったとしても、自分自身が好きな仕事だと確信できるまで頑張ることこそ、天職探しの要諦ではないかと思った高校生との進路相談である。